アガることは本当に悪いことなのか?
プレゼン研修のときに、必ずと言っていいほど受講者から質問されることに、「私は大勢の前に立つとアガってしまうのですが、どうすればいいでしょうか?」というものがあります。
私はそう聞かれるたびに「アガることはいいことです」と即答します。
もちろん、その結論をサポートする明確な理屈・メカニズムを講義の中でも語っています。
実際、私自身の経験でも「緊張6:リラックス4」くらいの比率でプレゼンに臨めたときが、もっとも高いパフォーマンスを発揮できていると思います。
逆に家族や友人と話しているときなどはそうですが、まったくストレスを感じず、アガリもしないような場面では、話の内容もだらけたものになりがちです。
一般には「ストレスのない状態で物事に取り組んだほうが、好ましい結果が出る」と考えられていますが、それは必ずしも正しくないのです。
「闘争・逃走反応」と「チャレンジ反応」
そんな私の理論を、学術的にも補強してくれる一冊の書籍に最近出会いました。
スタンフォード大学の心理学者であるケリー・マクゴニガル氏が著した『スタンフォードのストレスを力に変える教科書』(大和書房)という本です。
ストレスが原因で私たちの心身に起きる状態の変化のことを、ストレス反応といいます。
マクゴニガル氏によれば、一口にストレス反応といっても「闘争・逃走反応」や「チャレンジ反応」など、いくつかの種類があるそうです。
このうち「闘争・逃走反応」は、切迫した身の危険を感じたとき――たとえば夜道で暴漢に襲われたとき――などに起きる反応です。
こんなとき私たちの体内ではアドレナリンが分泌され、心拍数が上がり、呼吸が速くなって筋肉が緊張します。
そして闘うか逃げるかを瞬時に判断して行動に移す。
これは動物として生き残っていくうえで不可欠な反応です。
ただし普段の生活の中でちょっとしたストレスを受けたときに、いちいち「闘争・逃走反応」が起きると、かえって事態にうまく対処できなくなります。
たとえば大勢の人の前でプレゼンをするときに大きなストレスを感じて逃げ出したくなったとしても、逃げ出すわけにはいきません。
その逃げ出したい気持ちを何とか必死に抑えながらプレゼンをしたとしたら、結果は好ましいものにならない。
「闘争・逃走反応」は、命の危険に関わる場面以外ではできれば抑えたい反応です。
一方で、ストレスはあってもそれほど危険ではない、という場面で起こるとより望ましいのが「チャレンジ反応」だとマクゴニガル氏は言います。
「チャレンジ反応」が起きると、やはりアドレナリンが増え、心拍数が上昇します。
ただし「闘争・逃走反応」のときとは違って、大きな恐怖は感じません。
そのためプレッシャーのかかる場面でも、高い集中力を発揮して、やるべきことをやれるようになるというのです。
私が「緊張6:リラックス4」くらいの比率のときのほうが、もっとも高いパフォーマンスを発揮できると感じていたのは、私のなかに「チャレンジ反応」が起きていたことが原因だったのです。
「このアガリはチャレンジ反応だ」と考えるようにする
私たちは、プレゼンなどの大切な場面で、自分の心身の状態が普段とは違うことに気づいたときに、「今アガっているな」と認識します。
「アガリ=悪いこと」と捉えている人は、アガリを何とか抑えようとします。
けれどもそのアガリが「チャレンジ反応」によって起きているのならば、むしろ好ましいことです。
「今日はアガっているから、最高のパフォーマンスを発揮できそうだぞ」と、考えるべきなのです。
逆に「今自分はアガっている。まずいな、どうしよう」と焦ってしまうと、不安感が高じて、本当は「チャレンジ反応」によって起きたアガリだったものが、「闘争・逃走反応」に切り替わってしまうリスクがあります。
大切な場面に臨むときには、誰だってアガリます。
それは人間としてごく当たり前の反応です。
そのアガリはむしろ集中力を高め、やるべきことを最高の能力を発揮して遂行していくうえで、必要なものなのです。
そう考えられる人が、アガリを力に変えることが可能になります。
「このアガリは、いいアガリだ」そう考えるようにしませんか?